「名探偵の呪縛」/東野圭吾

天下一シリーズを舞台にしたメタ推理小説。著者の本格推理小説に対する愛情と惜別。それ以外の部分はパロディにしても中途半端な印象。

名探偵の呪縛 (講談社文庫)

名探偵の呪縛 (講談社文庫)

「マルドゥック・スクランブル 圧縮/完全版」/冲方 丁

昨秋アニメ映画化されたのにあわせて完全版が出たので読んでみた。強化された少女と兵器ねずみの生きること、生存確認の物語。ウイリアムギブソンぽい文体でつづられているけれど、ずっと映像をイメージしやすい感じ(世の中がサイバーパンクに近くなったのかもしれない…)。人体損壊悪玉グループの描写がいちいち馬鹿馬鹿しくて笑えた(女性器を手のひらに移植したアホとか云々)。さらっと読めて面白いので時間がない人におすすめ。

バイブ(1)

 いつやむとも知れない酸性雨の幕と神経を苛立たせるために作られたとしか思えないネオンの点滅のなかで俺が探し続けているのはバイブレーター。俺はこの街で「豚」と呼ばれている。由来は知らない。俺を初めて豚と呼んだ重度のジャンキー兼ロリコンハッカーは、豚の由来を俺に教えず胸に抱えたまま魚のエサになった。


「あんたは痩せていて『いかにもな日本人』だけどさ。豚なんだよ。でっぷり肥えた豚」


 奴の一ドルの価値もない、そして、最期の言葉だ。顔を合わせるたびに、子供の頃のアイドル、カービー・パケットを記憶の底から引きずり出してきやがる、ずんぐりむっくりした身体を持つファッキン・ジャンキーは眼球をくり抜かれ、手足の全ての指を先端で割かれ、尿道からワサビを塗った針金を刺された挙句に四十フィートコンテナに潰され、マクドナルドハンバーガーよりも薄くなったところを、トンカツの背後にそびえ立つキャベツのようにスライスされ、ゴールデンゲートブリッジから海に撒かれた。哀れファッキンジャンキー。この街ではこれくらいのことは日常茶飯事で、気に留める奴はいない。葉脈のように走り抜けるバスを逃したようなものだ。すぐに次が来る。それが俺の住む街。ロス。ロスアンゼルス


 こんどの夏で45になる俺は下町でうどん屋をやっている。バラク・オバマの黒人優先政策と、続くシュワルツネッガーの健全肉体政策によってアメリカ経済はV字回復を果たしたが、その結果として俺たち日本人はオフィス、工場から下町のスラムへと追いやられた。俺にはラーメンとの違いもわかっているのか甚だ疑わしい黒人相手に、うどんを茹でるしかなかった。ターミネーターは健全なアメリカを謳い、全米から全てのアダルト産業を滅ぼした。経済成長で懐の潤った大多数の良識的な民衆はターミネーターを支持し、ポルノ女優たちやダーク・ディグラーの末裔たちはアジアやヨーロッパへと散り散りに消えていった。さらば愛しきディープスロート


 黒人とマッチョ白人が優遇され、スラムは性欲を持て余した若者で溢れた。世界中の資本が集中したアメリカでは環境破壊が進み、ロスは年中酸性雨が降る暗い街へと姿を変えた。俺の愛した西海岸の青い空は俺の記憶とハードディスクの記録のなかにしか存在しない。


 ショッピングモールで買い物をしていた俺の妻が「スティッキー・フィンガーズ」を名乗るクソガキどもに拉致されたのは春先のことだ。俺は奴らのアジトを突き止め、へへ、なんだ日本人のおっさん一人で俺たちをやれると思ったのかよ的な顔をしたガキ共の足に弾丸を撃ち込み、手足を縛って動けなくし、それからプリンスの「リトル・レッド・コルベッツ」を口笛で吹きながら、奴らの頭からガソリンをかけ、足下近くの床に蝋燭を立てて火をつけ、周りに「猫大好き」キャットフードの中身をあけた。


「ヘルプ!」「許してください」「わーマジ死にたくねーし!」


 俺の背中の向こうでクソガキどもの声が響く。「野良猫ちゃんたちの食事マナーに期待することだな」俺はキャデラックに積んできた野良猫たちを奴らのアジトに放ち妻を抱えてその場をあとにした。


 翌朝になっても妻は目覚めなかった。「港湾エリアの保税倉庫で三人の若者焼死。火遊びか?」という見出しがロスアンゼルスタイムス朝刊に載っていたらしいが俺がそれを知ったのはずっと後のことだ。新聞もクソガキなんかよりもペンを向ける相手がいるだろうに。俺はうどんを食べにきた市警の刑事からスティッキーフィンガーズの末路を聞いていた。


 「どうにもわからないのは…」刑事はかけうどんをすすりながら言った。「焼死体の周りに黒こげになったキャットフードが大量に落ちていたことだ」


 「シャブでイカれて猫プレイでもしていたんじゃないか?」


 「男だけでか?世も末だな」


 焼け猫は出てこなかったらしい。猫に恨まれずにすみそうで俺は胸を撫で下ろす。


 その朝刊がポストに届けられた時刻の俺は、愛するマリコを受け入れてくれる病院を探して市内をキャデラックで走りまわっていた。連日の暴動で野戦病院化した市民病院が裏金を条件にマリコを受け入れた。俺がベッドの横のパイプ椅子に座って花を飾っているときも、リンゴの皮を剥いているときも、看護婦を手当たりしだいにファックしているときも、マリコは眠り続けた。最初は楽観的だった医者たちの顔に諦めの色が濃くなっていった。俺は昼過ぎから夜8時まで茹で麺器の前に立ち、黒人を殴ってから病院へ通った。毎日、二人の思い出の品を持っていった。


 一年が過ぎ、思い出が尽きてしまうと、俺は二人で熱い夜を過ごしたときに使ったバイブレーターを病院へ持っていった。「マリコ…」と俺はいつもと同じように名前を呼んだ。名前を呼ぶ行為がルーチンワークになってしまっていて、これでは駄目だと俺は思う。俺は病室の壁よりも白くなってしまったマリコの手の指を一本一本ゆっくりとひろげ、バイブを握らせてスイッチを入れた。俺は両手でマリコのバイブ手のひらとを包みながら、店の売り上げとエピソードを報告した。マリコの手は動かないが熱を失ってはいない。マリコは生きている。鍵を忘れてしまって扉をひらけないだけなのだ。ぶんぶんぶぶぶ。細かな音が二人だけの空間に響く。俺がバイブのスイッチを切ろうとしたとき、一年間とじられていたマリコの瞳がそっと開いた。(つづく)

お伊勢(1)


 横須賀鎮守府の門前にある、どぶ板通りのちょうど真ん中にある飯屋「孫六」で働くお伊勢は、この五月に数えで十五になる。お伊勢が「孫六」を営む銀一のところへやってきたのは赤ん坊のころだ。子宝に恵まれなかった銀一と三笠夫婦は喜んでお伊勢を引き取り、我が子として大事に育ててきた。銀一からみてもお伊勢は美しく、気立てのいい自慢の娘に育った。常連客の海軍士官たちや、横須賀の町の人間もお伊勢が通るだけで花が咲いたような賑わいをみせた。「行ってきます」と言って、下駄を鳴らして元気に出かける娘のうしろ姿を見ながら銀一はそろそろ話す頃合だ、と思った。


 銀一が神戸からやってきて、横須賀に飯屋を出したのは二十年ほど前のことだ。暮らしはお世辞にも楽とはいえるものではなかったが、安くて旨いものを出すという店の評判は上々で、一人、また一人と常連客が増え、妻と二人かつかつながらもやってこられた。ある日、常連の海軍士官がやってきて、いつものように飯を終え煎茶をすすった。士官は厚い眼鏡をかけ、頭髪は白く、ほとんど退役間近にみえた。士官は銀一に話を切り出してきた。


 「旦那のところ、子供は?」


 「へへ。生憎子宝には恵まれねえみたいで…」


 「そうか、実は正月に士官学校の裏庭に赤子が捨てられていてな。親が引き取りにくるまで海軍病院で預かっていたのだが、このままというわけにもいかぬ」


 「はあ」筋が読めない銀一は間抜けな声を出してしまう。


 「もしよかったら養子にどうだね」


 銀一夫妻は一晩話し合ったうえで赤子を引き取ることにした。赤子が捨てられたときに傍らに置いてあった硯箱も渡された。硯箱には一枚の和紙が入っていて、赤子の名前が墨で書かれていた。「伊勢」。これが銀一夫妻とお伊勢の出会いである。


 お伊勢は八百屋と乾物屋で用事を済ませたあとの帰りに、寄り道をして長源寺裏の高台に登った。初夏の日差しに照らされた青い草の匂いが着物を洗う。お伊勢には気がかりがあった。時折、全身からすっと力が抜けてしまい眠りこんでしまうのだ。最初は一瞬のことだったが次第にその眠りは長くなり、こないだはとうとう一日中お店を手伝えなかった。そのときの銀一夫妻の慌てようを思い出した。


 「私が倒れたりしたらお父さんとお母さんがまた天と地がひっくり返ったような大騒ぎをするのだろうなあ」


 お伊勢はそんなことをまるで他人事のように口にしたあとで、横須賀の海をみながら海軍兵舎から流れてくるラッパを伴奏に鼻歌を歌い、東京のカフェやデパートで洋服を着て働く姿を空に描いた。お伊勢は自分が銀一夫妻の実の娘だと信じていた。夏島から飛び立った海軍航空隊の複葉機が、お伊勢の頭上を過ぎていく。


 「ねえ、東京ってどれくらい素敵なところなの?」


 お伊勢の声に応じるように、複葉機は翼を白く光らせた。(第一稿)